
Saito Shigeru
退屈のその向こう
漢字練習や英単語の暗記、計算練習などはなんとも退屈な作業だ。
小学校低学年ならいざ知らず、思春期以降の人にとっては、知的刺激の足りない「作業」にしか感じられないものだろう。どうしてこんなことをやれねばならないのか。もっと、ワクワクすることをやりたいのに。そういう不満を持つ人も少なくないだろう。
その気持ちは良く分かる。
私も通って来た道だから。
このような不満を持つ人が気づいていなこと。それは、反復練習にはその先があるということ。
つまり、反復練習はそれだけでは終わらないということだ。
漢字も英単語も計算も、それだけ完結してしまったらなんとも味気ない。
これらは、避けては通れない通過点なのだ。ワクワクする学習につながる土台部分だと言ってもよい。
この通過点を通らずに「ワクワク」だけを享受することは不可能だ。勉強ってそんな甘いもんじゃない。
この土台部分なしで、ワクワクだけを構築することも不可能なのだ。ものには順序というものがある。
大人なら皆知っていること。
だから「どうして、こんな単純作業を・・・」と不満を持つヒマがあったら「エイヤァー!」との勢いでこの作業の過程を突き抜けて欲しい。そして、次のステージでワクワクを十二分に享受してもらいたい。
昔ながらの職人の修業時代なんて、こういうことが当たり前だった。
修業で課されることのひとつひとつの意味なんて、説明されなかった。
もう、そういう時代ではない。
しかし、何かを身につけるための物事の順序が変ってしまう筈はない。