- Saito Shigeru
論理は日本語で
吾妻から前橋高校、高崎高校等トップ校に9年連続合格者を出している齊藤塾の塾長です。 さて、 今日は論理の話。 私達日本人は日本語で考えていますから、日本語を徹底的に鍛えておかなくてはダメです。 行きつ戻りつ、自分の日本語能力に合わせて読み進める。そして、考える。 私達の体の外から入って来たものは皆異物です。 食物であろうと、ウィルスであろうと、そして文字情報であろうと同じ。 それを私達は一旦取り込んで「処理」します。 文字情報の場合には、自分の理解力を駆使して、何とか取り込んでみます。このときに、今までの自分を構成していたもの達が違和感を感じたり、拒否反応を示したりします。自分の言葉で「翻訳」しなから何とか理解しようとするのですが、うまく行かなかったりして、ちょっと「苦しい」のですね。それと、新しい概念に出合い、馴染めない感覚に襲われて「宙ぶらりん」の気持ち悪い状態に陥ったりします。この時にどれくらい頑張れるかが勝負だと思っています。 苦しかったり、宙ぶらりんで気持ち悪かったりする。 ここで頑張る。 何を頑張るか。 理解しようと頑張る。論理を再構成しようと頑張る。考える。 考えるための道具は? 勿論、日本語です。 徹底的に論理を鍛えておくこと。 それは母国語で行われる。 それしかありません。 外から入ってきたものを、自分の言葉に翻訳しなおして理解する。鵜呑みではなくて、咀嚼する。 こんな作業の繰り返しで頭は鍛えられるし、新しい学習項目に挑戦する勇気も湧いてきます。
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