
Saito Shigeru
いつものピーマンの話
吾妻から前橋高校、高崎高校に合格させている齊藤塾です。 いつもの、ピーマンの話です。 ピーマンが嫌いな子がいたとする。 全く食べようとしない。嫌だ嫌だを繰り返すばかり。 これを容認してはダメ。 じゃあどうするか。 ひとかけらだけ食べさせる。 ほんのひとかけらでよい。 味なんか分からなくくらいのひとかけらでもよい。 それさえも食べないと言い張ったらどうするか。 一切食事を与えなければ良い。 泣いてもわめいても毅然とした態度をとる。 それが正しい大人だ。 ひとかけらも食べないというのは、単なるワガママでしかない。 好みの問題を超えているのだ。 ワガママを許してはいけない。 何故か。 それがワガママだからだ。 でも実際は、ひとかけらでも食べようとしない、という子はあまりいない。 体に良いとかなんとか言って、大人が食べて見せれば顔を歪めながらでも食べるものだ。 特定の野菜には、その野菜にしか含まれない栄養素がある。 だから、食べねばならない。 しかし、大量に食べる必要はないのだ。 特定のミネラルは少量で十分だったりする。 ゼロではダメだ。 ゼロかゼロではないか。 それは大問題なのだ。 英語に any という単語がある。 これは、数学でいう原点0の付近、つまりゼロかゼロではないかのせめぎ合いのことを言うが、なかなか日本語では説明しにくい。だから、否定文と疑問文ではsomeはanyに変化する、などという変な説明で間に合わせる人が多い。この単語の本質からはかなりずれていると思うが。 嫌いなものでもゼロにはしない。 勉強でも同じだ。